静岡家庭裁判所 平成7年(少)1265号 決定 1995年12月15日
少年 M・T(昭51.3.21生)
主文
この事件については、少年を保護処分に付さない。
理由
一 本件送致事実の要旨は、「少年は、平成7年8月29日午後2時35分ころ、静岡県清水市○○町×丁目××番地の×A方居宅において、包丁を使用し、少年の祖母B子(当時70歳)に対し殺意を抱き、同女の左上腕を所携の包丁で切りつけたが、同女が身の危険を察知し、逃走したために全治約1ヶ月の左上腕部刺創を負わせるに止まり、更にそのころ少年を制止しようとした少年の祖父A(当時76歳)に対し殺意を抱き、上記包丁で同人の腹部を刺し、よって即時同所において胸部刺傷により同人を殺害した。」というものであるところ、関係各証拠によれば、少年が、上記日時・場所において、所携の文化包丁で被害者B子の左上腕等を切りつけて同女に傷害を負わせ、更に上記包丁で被害者Aの身体を刺す等して同人を死亡させたことが認められる(但し、関係各証拠によれば、被害者B子が負った傷害は「3週の安静、1ヶ月のリハビリテーションを必要とする左上腕切創、左前腕切創」であること、少年が所携の文化包丁で刺す等した被害者Aの身体の部位は、頸部、胸腹部、左右上肢、左下腿であること、被害者Aの死因は「心臓刺切による心タンポナーデ」であることが、それぞれ認められ、これらの点については上記送致事実の要旨と異なる。)。
ところで、少年は捜査段階においては、被害者両名に対する殺意を認める供述をしていたが、当審判廷においては、「殺すつもりはありませんでした。」と供述し、殺意を否認しているので、被害者両名に対する殺意の有無について検討する。
この点、関係各証拠によれば、少年は、被害者A方居宅の台所の流し台の付近から持ち出した刄体の長さ17.5センチメ一トルの文化包丁を用いて被害者両名に対する攻撃に及んだこと、少年は、上記包丁で被害者B子の左上腕等を切りつけた後も、同女に対して更に攻撃を加える構えをみせていたことが、それぞれ認められる。
また、被害者Aの頸部、胸腹部、左右上肢、左下腿には合計8個の切創又は刺切創が認められ、その中には左第6肋軟骨及び胸骨、心嚢を刺切し、更に右室右側を刺切し、心嚢後側は刺切せずに終わっているが、右室の損傷は右室内に達する刺切創があり、少年が被害者Aに対し、上記包丁を用いて執拗かつ強度の攻撃を加えたことが推認される。
以上を総合すれば、少年が被害者両名に対して確定的殺意を有していたことは明らかである。
二 当裁判所は、少年法3条1項1号所定の「罪を犯した少年」というためには犯行時における責任能力が必要であると解するところ、少年には精神分裂病による通院歴があることや、犯行前の少年の行動、少年の供述内容等に鑑み、犯行時における少年の責任能力の存否について検討する。
1 少年の身上・経歴並びに犯行前の生活状態について
(一) 少年は、昭和51年3月21日、両親健在の家庭に長男として出生した(他に同胞はない。)。少年は、清水市内の小・中学校を経て、平成6年3月に同市内の○△高校を卒業した後、父親が経営する板金塗装業を手伝うようになり、本件犯行時に至っている。なお、少年には、平成6年9月の無免許運転による家裁係属歴が1回ある(この事件については、平成6年11月に、無免許講習受講の上、不処分となっている。)。
(二) 少年は、小学生のころまでは、明るく、手のかからない子で、特に問題なく過ごした。その後、少年は、中学入学直後から、いわゆる「コックリさん」に夢中になり、少年の「御告げ」が妙に的中したことなどから、一躍学校中の人気者になったが、学校で「コックリさんの御告げ」が禁止されてからは友人が減った上、中学2年の後半ころから学校でいじめにあうようになり、中学3年のころには口数も少なくなり、暗い性格に変わってきた。
(三) 少年は、平成3年4月に高等学校に入学したが、いじめられて悩んでいたことなどから仏教に傾倒するようになった。その後、少年は、高校2年のころ、母親に対し、「僕の思う事とか、予感が当たっちゃうんで怖い。」等と言うようになったほか、急に部屋に閉じこもりきりになったり、逆に、急に開放的になって元気に買い物に出かけたりするというような行動がみられるようになった。また、このころ、少年は、「幻聴が聞こえる。」、「僕の心が読まれてしまう。」等と訴え、平成4年3月に○○センターにおいて診察を受けた。その結果、少年には思考伝播、幻聴、関係・被害妄想といった症状が認められ、軽い精神分裂病と診断された。そこで、少年は、同センターに通院して治療を受けるようになった。
(四) 少年は、平成6年3月に高等学校を卒業した後も、同センターへの通院を続け、平成7年3月の最終受診時には、「自動車学校へ行くようになって、幻聴が聞こえず、気持ちを読まれることも気にならなくなった。幻聴がなくて淋しい感じ。」と申し立て、症状の改善が認められた(もっとも、少年は、最終受診後、同年5月上旬に同センターに薬だけ取りにきている。)。しかし、その後、少年は再び幻聴が聞こえるようになったため、同年5月下旬に清水市内の医院で受診したところ、ウィルス性疾患と診断され、同年8月10日まで同医院に通院した(なお、少年は、同年6月の受診時に、幻聴が以前より軽減している旨申し立てたが、最終受診時には、「探っているような感じで見られている。」と幻視の症状を申し立て、2週間分の漢方薬の処方を受けている。)。
(五) 少年は、心身の状態が思わしくなく、煙草ばかり吸っていて仕事に身が入らなかったため、同年7月24日ころから同年8月23日ころまで被害者宅に預けられたが、その間「幻聴が聞こえる。」等と訴えたことがあった。少年は、自宅に戻った後、同年8月28日に○○県警察本部○○分庁舎を訪れ、対応した警察官に対し、「父親が自宅に所持しているモデルガンが本物のような気がする。」等と申し立てた。少年は、事情聴取を受けた際、終始多量の汗をかき、落ち着かない様子で、モデルガンを本物と認めた理由等について質問されても、うつむいて「それは・・・。」等と言うのみで明確な回答はできなかった上、「電波が飛んでいるような気がする。」等と申し立てた。その夜、少年は、精神的に不安定で5~6回起き、その都度水を飲んだり屋内を徘徊するなどしていた。翌29日、少年の父親は、少年が仕事中に「幻聴が聞こえる。」と訴えたり、体調が思わしくない旨述べたことから、同日昼ころ、被害者宅に少年を預けた。そして、少年は、同日午後2時35分ころ、本件犯行に及んだ。
2 少年の本件犯行後における行動並びに精神状態について
(一) 少年は、本件犯行直後の平成7年8月29日午後2時38分に自ら110番通報し、同日午後2時53分に緊急逮捕されて○○警察署に留置され、同月31日に静岡少年鑑別所に勾留されたが、精神病による通院歴があったことや、取調室や留置場内において異常な言動が認められたことなどから、同年9月4日から同年11月16日まで静岡刑務所に鑑定留置された。
(二) 少年は、鑑定留置の期間中も、思考障害が著しい上、被害妄想・関係妄想・注察妄想・幻聴等が認められ、「宇宙人に監視されているので落ちつかない。」、「映画の主人公のように感じ、それに一致しないと頭にくる。」と訴えていたほか、時には宇宙人の低い声の幻聴が電波に乗って聞こえたり、神の命令してくる様な声や霊の否定する様な声と自分のやる事を封じ込む様な声も聞こえる旨述べていた。
(三) 少年は同年11月16日鑑定留置期間満了により静岡少年鑑別所に収監され、同月20日観護措置決定がなされた後、観護措置期間中に、医師○○の診断を受け、病名は精神分裂病で、思考伝播、幻聴、被害妄想などの精神症状が認められると診断され、本件審判時に至っている。
3 本件犯行についての少年の供述の要旨
(一) 警察の事情聴取に対する少年の供述の要旨
(1) 僕のおとうさんが変なのでその事をおじいちゃんに話していたら、おじいちゃんとおばあちゃんの顔がヤクザの顔になりました。だから、僕は、おじいちゃんとおばあちゃんに殺されると思い、怖くなりました。だから、おじいちゃんとおばあちゃんに殺される前に殺してやろうと思ったのです。このことは、高校時代の友達が頭の中で命令したからです。さからうとおっかないから殺してやろうと思ったのです。
(2) 包丁を使って殺そうと思ったのは、台所の流しの上に包丁があったからです。
(3) 最初におじいちゃんを包丁で胸を刺した。刺したのはヤクザの顔だったからです。
(4) おじいちゃんを刺さないと、高校の友達がおこるので、それが怖くなり、ヤクザ顔のおじいちゃんを刺しました。
(5) そして、おじいちゃんを刺した後、ヤクザ顔のおばあちゃんを刺しましたが、おばあちゃんは逃げました。
(6) ヤクザと思って刺した二人の顔を見ているうちに普段のおじいちゃんとおばあちゃんの顔になってきたのです。二人の体から流れ出ている血を見て怖くなり、110番をした。
(二) 検察官の事情聴取に対する少年の供述の要旨
(1) おじいちゃんとおばあちゃんを包丁で刺したことは覚えている。
(2) おばあちゃんは腕に怪我をしてどこかに行ってしまい、おじいちゃんは腹を刺して死んでしまった。
(3) おじいちゃんは、腹の辺りに手をもっていって、ここを刺せという恰好をしていた。
(4) 事件の前から、おじいちゃんとおばあちゃんは夜中の12時ころになると寝ていた二人が突然起きだし、風呂場へ行って水を浴びたり、仰向けになったまま踊ったりして怪しいことをしていて、変だと思った。
(5) おじいちゃんとおばあちゃんはぐるになっているようだった。
(6) 自分の秘密がおじいちゃん達に見透かされているようで怖くなり、また弱点を知られたことから戦おうとした。
(7) 家の外を歩いている人の話し声が聞こえてきて、「知ってるぞ。」「強いぞ。」等と言っていて、その声によっておじいちゃんが自分の弱点を知って殺そうとしてくるのではないかと思った。
(8) 前々から「殺せ。」と命令されていたが、段々命令される回数が増えていった。
(三) 当審判廷における少年の供述の要旨
(1) 事実はそのとおり間違いありませんが、殺すつもりはありませんでした。
(2) おじいちゃんとおばあちゃんに切りつけたり、刺したりしたのは、前々から自分の生活が弛んでいたのでおじいちゃんやおばあちゃんと言い合っていたのです。
(3) おじいちゃんに無駄使いしないようにと、財布を取られてしまったことで、そのときから不満が積もっていて、積もったのが、刺すように外から耳に声が聞こえてきたのです。声は通りすがりの人から噂話のように聞こえてきました。それでいてもたってもいられなくなってしまいました。
(4) 刺すように外から耳に声が聞こえてきたその声は、高校のときの友達とか、通りすがりの人の声とか笑い声とかです。
(5) おじいちゃんやおばあちゃんの顔はおじいちゃんやおばあちゃんの顔でしたが、雰囲気がヤクザのようだったのです。自分はヤクザになりたくないので刺してしまったのです。刺した後はヤクザの雰囲気はありませんでした。
(6) おばあちゃんを刺したのは、おばあちゃんが変な行動をしていて、夜中に起きて風呂場でザーザー水を出して水を被っていました。夜中だったので不思議に思い、不審感がして、おばあちゃんもヤクザかなと思ったのです。
(7) おばあちゃんを先に刺したところに、おじいちゃんが庇いにきたので、おじいちゃんを刺したのです。刺すとき気持ちは、自分自身は刺すつもりはなかったのですが、誘ってくる声がどんどん進んで来て、みじかになってくるような感じでした。
(8) 刺すときはいいとか悪いとか思っていました。自分の思いや考えが周りの人に察知される感じがしてたまらなくなって刺してしまったのです。
(9) おじいちゃんとおばあちゃんを刺した後110番したのは、自分がやってしまったので悪いなと思ったからです。おじいちゃんがヤクザに見えたので捕まえてほしいと思ったから、自首するつもりで110番したのです。
4 鑑定結果について
検察官から鑑定嘱託を受けた医師○△(以下、「○△医師」という。)作成の精神鑑定書、検察官作成の平成7年11月15日付け捜査報告書(鑑定結果等について検察官が○△医師から事情聴取した結果を記載したもの)及び○△医師作成の「照会事項回答」と題する書面(鑑定結果について当裁判所が○△医師に対して行った照会に対する回答)によれば、犯行時における少年の精神状態等について鑑定結果の要旨は次のとおりである。
(一) 本件犯行当時、少年は精神分裂病(妄想型の疑いが強いが、破瓜緊張型の可能性もある。)に罹患しており、被害・迫害妄想、幻聴、幻聴に命令されて行動した作為体験、思考障害(連合弛緩、思考途絶等)、自我意識障害(思考伝播、思考察知等)等が認められた。また、事件の残虐的内容が少年の日常性から隔絶して了解困難であることから、犯行当時の精神状態は極めて悪く、状況把握力や現実吟味能力は殆どなかったと推測できる。
(二) 犯行時には、幻聴に命令されて行動した作為体験と被害・迫害妄想も強くあったと思われ、更に思考障害も加わって、精神分裂病の病状による本件犯行への影響は極めて強かったと判断できる。
(三) 是非弁別能力の有無は程度問題であり、全くないということは、意識喪失あるいは意思活動を行っていない状態であって、少年についても、意識を喪失しているわけではなく、犯行状況につき人を刺したという認識はあるので全く欠く状態とはいえない。
少年の場合、状況を追体験でき、希薄ではあるが状況を把握していたと考えられ、是非弁別能力があるかと言われれば、あると言わざるをえない。
しかし、精神分裂病の症状がかなり進んだ少年が、幻覚、幻聴に支配され、思考障害により通常の倫理観を著しく減退させ是非善悪の判断もつかず、聞こえてきた声に言われるままに行動してしまったと考えられ、犯行時における少年の是非弁別能力は著しく欠けている状態(ゼロに近い程度)であったと考えられる。また、少年は、犯行時には、是非弁別に従って行動を制御する能力を全く欠いていたと認められる。
5 検討
(一) まず、少年の犯行当時における病状についてみると、犯行前における少年の生活状態、本件についての少年の供述内容及び○△鑑定によれば、本件犯行時、少年が、精神分裂病に罹患しており、被害・迫害妄想、幻聴等の症状が認められ、しかも、その病状はかなり悪化していたものと認められる(もっとも、少年の供述内容等に照らすと、少年は、本件犯行時、希薄ではあるが、状況を把握していたと考えられる。)。
(二) 次に、犯行態様についてみると、前記一で認定した事実に照らすと、本件の犯行態様は執拗かつ残虐なものと認められるところ、犯行前における少年の生活状態及び非行歴に照らすと、少年については粗暴な傾向は全くといっていいほど見受けられず、○△鑑定が指摘するとおり、本件の犯行態様は少年の日常性から隔絶して了解困難なものと認められる。
(三) 更に、犯行の動機・原因についてみると、少年は、この点について、前記のとおり、本件犯行当時、被害者両名から生活態度や言動について注意を受け、不満を募らせていた旨供述する一方、被害者両名が「ヤクザ」に見えた(あるいは、「ヤクザ」の雰囲気がした)ことから、被害者両名に殺されるとか、自分はヤクザになりたくない等と考え、頭の中の声(幻聴)の命ずるままに本件犯行に及んだ旨供述しているところ、少年の犯行当時における病状等に照らすと、本件犯行の動機・原因は少年の上記供述どおりに解するほかない。そして、このような犯行の動機・原因は客観的に了解可能なものとはいえない。
(四) 以上を総合すれば、少年は、本件犯行時、希薄ではあるが、状況を把握していたと考えられるものの、精神分裂病による幻覚、幻聴等に直接支配されて本件犯行に及んだと認められる。
そうすると、○△鑑定が指摘するとおり、少年は、本件犯行時、是非弁別能力を全く欠いていたとまでは認められないが(但し、その程度は極めて低かったと認められる。)、是非弁別に従って行動を制御する能力を全く欠いていたと認められる。従って、少年は、本件犯行時、心神喪失状態にあり、責任能力はなかったというべきである。
(なお、少年は、本件審判時においても精神分裂病に罹患していると認められるが、少年が当審判廷において「これから審判廷でやることは、今回の事件のことや、今までの生活のことを振り返ってみて、今後自分がしっかりしていくためには、どうしたら良いか決めてもらうことです。」と供述していること等に照らすと、自己に対してなされる手続きの意味を一応了解していると認められ、審判能力はあると考える。)。
三 そうすると、少年は少年法3条1項1号所定の「罪を犯した少年」に該当しないので、少年を保護処分に付すことはできない(なお、鑑別結果通知書によると、少年については、保護処分よりも精神分裂病に対する専門的な医療施設で病状に合わせた治療を確実に受けさせることが必要かつ適当であるとして、「保護不適〔精神医学的な専門的医療措置〕」という判定がなされている。)。
よって、少年法23条2項により少年を保護処分に付さないこととし、主文のとおり決定する(なお、少年については、静岡少年鑑別所長から静岡県知事に対し、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律26条による通報がなされ、指定医2名による診察の結果、措置入院の必要があると認められ、本決定後直ちに同法29条1項により入院措置がとられることになっている。)。
(裁判官 早川幸男)